グランレイド・レユニオン Diagonal des Fous スタッフ参戦記 愚か者への道③ Cilaos~Marla


 グランレイド・レユニオン Diagonal des Fous スタッフ参戦記 愚か者への道③ Cilaos~Marla

【初100マイルをディアゴナルデフーと決めた理由】

私が 私の人生の最初の100マイルレースを Diagonale des Fous に決めたのには理由がある。もちろん UTMBが外れてしまった事もその理由の一つだったが、昨年の今日 密かに初めて走る100マイルは Diagonale des fousと決めていた。

私は6年前の34歳まで自転車ロードレース一色の人生だった。24歳まで競技に打ち込み、自転車ロードレースの最高峰 ツールドフランスに参加し活躍することを夢見てフランスのクラブチームで必死にその夢を追いかけた。だが現実は厳しく、私はロードレース選手としては本場欧州のレースでは歯が立たず、ツールドフランスなど夢のまた夢、指先にも掛からぬまま挫折したのだった。

その頃、私が憧れていた世界でまるで神のごとく活躍していた選手がいた。

ローラン ジャラベール」選手。

自転車ロードレース界のスーパースター、元世界チャンピオンのローランジャラベール(右)氏と二コラ・ジャラベール氏 グランレイドレユニオン2016 

私がスタートラインにさえ遠く及ばなかったツールドフランスで、若い頃はエーススプリンターとして、数々のステージ優勝を飾り、スプリント総合のマイヨ・ベールを獲得、その後スプリンターとしては異例の成長を見せ、山岳でも活躍を始め数々のクラシックレースを制覇、往年にはスプリンター上がりの選手が着ることはあり得ない 山岳賞総合のマイヨアポアを獲得し、山岳最難関ステージを優勝、ワールドランキングで5回 年間最優秀選手となるなど、それまでの常識を覆すまさにフランスのスーパースターだったのが、ローラン ジャラベール氏だ。

引退後はすぐにツールをはじめとするビックレースのテレビ解説者やレポーターとして活躍し、タレントとしてクイズ番組や歌番組のゲストなどにも出演し、まさに国民的スター選手だった。

さらに彼はロードレース フランス代表チームの監督に就任し、フランスチームから数々の世界チャンプを輩出、特にユースの成長は著しく、弱体化しかけていたフランスロードレース界の救世主としても大活躍した。

私には何一つ彼に勝るものはなく、何一つ同じ舞台に立つこともない程に、天と地の差のある神がかった存在だった。

どんなに追いかけても、背中すら見えない、彼にとっては私の存在など知るすべもない別世界の人間だった。

しかし、私は何度か彼と直接接する機会があった。私が選手を挫折し、右往左往色々自転車ロードレース関連の仕事をしていた時、ツールドフランスの記者として彼にインタビューをした事がある。マネージャーにアポを取り、大観衆のサイン攻めをなんとかこなし、「5分だけだよ」と釘を刺されてのインタビューだった。

それから2.3回 ツールドフランスの取材を記者として出かける度に一回か二回彼にインタビューをさせて貰った。真摯で物凄い多忙ななかでも、きちんと質問に答えてくれて感銘を受けた。

でもそれはロードレース界のレジェンドである彼を取り巻く何百人の記者のうちの一人であり、相変わらず彼は雲の上のそのまた上の天界に居るような存在のままであった。

しかし、そんな神のローラン ジャラベールは、私とほぼ同じ時期にランを始めたことを知った。

初フルマラソンは2時間58分代で走ったことを知り、私は初フルマラソンを2時間54分で走った。

私はこの瞬間初めて、ありとあらゆるジャンルで神がかっていた世界のトップアスリートのローランジャラベールに肩を並べる事が初めて出来た。

これには胸がときめいた。

しかし、流石は世界のトップを極めたローランは、すぐにこの記録を更新。なんと2時間45分という驚異的タイム更新をする。

私は2度目のフルマラソンを2時間56分代とタイムを落とし、再び彼の背中を見失った。

ロードレース界のスターとして世界の最先端トレーニング技術を駆使し、あらゆる地形のレースで成功を納めたスターは、引退後もやり始めたらそのポテンシャルは凄かった。

さらに彼にはニコラという、こちらもトッププロとして活躍した兄弟がおり、かれもツールで活躍したスターだった。ローランまでの大活躍は無いが、それでもツールに複数回出場したトップアスリートだ。

そして、その二人が去年2016の今日 「Diagonale des fous」に二人揃って初めての100マイルレースとして参加したのだ。

ジャラベール兄弟は大きなランの大会に出るときは必ずそれなりのトレーニング、準備をしてきている事はメディアなどから知っていた。

そして、2016年にフルマラソン2時間45分を記録している事から、かなり狙ってきていたと思われる。

ローランのDiagonaleの通過タイムを見ると 最初のチェックポイント Domain vichot を135位 1時間35分で通過。これは相当にペースが速く、私は今回同じポイントを419位で通過している。

ジャラベールはその後も190番代をキープしながら後半まで200位前後を行き来するが終盤減速し、最後st denis に 「41時間28分6秒 310位」 で 兄弟のニコラ と共にゴールしていた。

私はこのロードレース界のスーパースター、ローラン ジャラベールの昨年の記録 「41時間28分6秒 310位」 を越えることが、胸の内に秘めた最大の目標だった。 フルマラソン 2時間45分の持ちタイム、自転車ロードレース元世界チャンピオンへの挑戦、それこそが私の秘めたる最大のミッションだった。

【追いつけないローランジャラベールの背中】

しかし、65km地点のCILAOS手前の非常に急なテクニカルなくだりで、突然体調が悪化、吹き出すように激しく嘔吐が始まる。まるで胃が口から飛び出るような苦しみが続き、進むことができなくなった。5分止まりゆっくり歩いて5段降りるとまた吐いた。もはや何も出ず、ただ胃液が出るだけであまりの苦しさに吐くと同時に涙がボロボロ溢れた。あまりの状態に抜かして行く選手のほとんどに 「大丈夫か?助けを呼ぶか?」と声を掛けられた。足は元気だったから「大丈夫、少し休めば行ける」と答えていたが、今までのラン人生で経験のない苦しさだった。

「こんな所で終われない」息子と娘が「 頑張れ!」とメッセージを書いてくれたフラスクを縋るように握りしめて、よろよろと進んだ。上腕二頭筋がビクビクと痙攣を続け、両手がビリビリと痺れ激しく目眩がしていた。 明らかにハンガーノックと脱水の症状で、エネルギーと水分を胃に入れない限り進めない。 無理やりジェルを飲むと3分後に吐いた。次のエイドまで3kmなのに1時間半以上の時間がかかった。

フラッフラでなんとか水エイドにたどり着き日陰の芝生に倒れ込んだ。スタッフが駆け寄って来て、なにかいるか?と聞いてくれたのでフラスクにコーラを満たしてもらった。 コーラはなんとか飲むことができた。 とにかくコーラの糖分と水分で体を回復しなくてはならない。

このエイドには約20分止まった。

なんとか歩けるようになり4.4km先のCILAOSエイドを目指す。

完全にグロッキーになった76km地点

CILAOSエイドには温かい食べ物やドロップバックがあり、マッサージやドクターもいる、とにかくCILAOSで立て直そう、なんとか食べれる様にさえなれば、歩き倒してもゴール出来るはず。そう信じて進んだ。

でも、もうジャラベールには勝てない…。一つの目標は諦めざる終えなかった。やっぱり、自分は永遠にジャラベールには追い付けない。叶わないんだ。ここでは、そう思っていたことを思い出す。

CILAOSには計画したタイムを大幅に遅れて到着した。ジャラベールは昨年11時間25分で到着。私は 12時間11分で辿り着いた。

即座にドクターエリアに行き胃薬をもらい、ベッドに横たわり、マッサージしてもらった。

「1時間ストップしても良いからここで立て直す」その事に集中した。

グランレイドレユニオンの核心はここから始まる76kmCilaos(シラオ) のエイド(写真内グラウンドがエイド)
何回も何回も息子と娘が応援のメッセージを書いてくれたフラスクを見つめ、折れそうな心を食い止めた。 炭酸水とドロップバックにいれた カルピスオレンジは美味しく飲めた。

ジェルは一切体が受け付けなかった。

エイドスタッフ皆さんが本当に親切で、みんなで食べ物を持って来てくれたり、助けてくれた。

CILAOSは快晴で暑かった。水のシャワーを全身に浴びてさっぱりする。ドロップバックにいれた赤いきつね を食べることができ、ふかし芋もなるべく食べた。経口補水液ものみ、栄養ドリンクを2本飲んだ。 エイドの街は真っ青な空とヤシの木やカラフルな建物、日本には居ない綺麗な色の小鳥が飛んで居て楽園の様だった。

「楽しもう、大会を最大限楽しもう」体は苦しくて仕方なかったが、必死にそう繰り返し言い聞かせた。切り立ったレユニオン独特の山々はアルプスやピレネーとも異なる独特の景色を生み出して居た。たくさんの滝が流れ南国の植物が茂っていた。

この後 前半最大の難所 Col du Taibitが待ち構えている。日陰がほとんどなく暑さに苦しむと言われている峠だ。

このエイドで十分に水分補給し、フラスクも満タンにした。ドクターも顔色がだいぶ回復した、と言ってくれた。隣にいたランナーもエイドインして来た時、血色がヤバかった、と言っていた。

まだ全く走れる状態ではなかったが次のエイドまでは行ける状態になったので歩いて行くことにした。

献身的にお世話してくれたみなさんにお礼を言い、エイドアウト。テクテクと歩いて進む。次々に足取りの軽い選手たちに抜かされたが、気にしなかった。「ゴールだけは絶対にする。」その気持ちだけは変わらなかった。

【100マイルで必ずやってくる地獄タイムを乗り越えろ】

なるべく景色を見る様にした。本当に美しかった。真っ赤な頭の小鳥、トサカの様な頭の鳥、たくさんのパパイヤやヤシの木、そしてたくさんの応援。噛みしめる様に楽しんだ。
体は全然動かなかったが、制限時間まではまだまだ余裕があった。
「楽しめ、楽しむんだ。景色や雰囲気、一生に何回も出られる大会ではない。この大会をかみしめて楽しもう」
頭の中で繰り返した。

Cilaosを出ると、比較的近くにPied Taibitの簡易エイドがある。ここには前半飛ばしてきてかけたランナーが大量に待ち構える、最初の難所 Col du Taibit(コル・ドゥ・タイビ)の上りに入る。

72km登り口
Pied Taibitのチェックポイントは609位 14時間55分で通過。ちなみにジャラベールは 12時間48分205位 で昨年通過している。実に2時間のタイム差をつけられていた。

この登りで約800m標高を上げる。内臓がやられただけで足のダメージはほとんど無かったので、淡々と歩いていたが、一人また一人と抜き始めた。たぶんこのCol du Taibitだけで30人以上抜かしたかも知れない。暑い暑いと言われていたが、神様も私に味方し、最も暑くなるはず頂上付近はちょうど雲が太陽を隠し、涼しく快適に進めた。

Col du Taibitを超えるとかなり涼しく緩やかな下りが続いた。徐々に走れるようになってきた。

78kmのMarla のエイドに着いた。16時間47分 523位。70位近く挽回した。

ゼッケンチェックをする。と、鼻から生暖かいものが。手で触ると大量の鼻血が流れ出ていた。あっという間に手が血まみれになり、私自身その量に 「これは、ちょっとまずい」 と感じた。

 

すぐさま救護所へ移動し綿をつめた。手は真っ赤。全く鼻には触れていなかったので、不安になった。すぐに血圧を測る。ここで異常が出たらドクターストップになってしまうかもしれない。

…つづく









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